2002-05-20 第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第7号
それで、当時の工務局長をやられておりました、あの世界柔道で有名な松前重義さん、この人はこういう戦争は反対だというので、東条英機さんの前に出て私はこの大東亜戦争は反対ですと言った。そうしたら東条さんが烈火のごとく怒って、君みたいな非国民は戦場へ行けというので、二等兵でもって前線に送られました。戦後、帰ってきて初代逓信院総裁になられました。
それで、当時の工務局長をやられておりました、あの世界柔道で有名な松前重義さん、この人はこういう戦争は反対だというので、東条英機さんの前に出て私はこの大東亜戦争は反対ですと言った。そうしたら東条さんが烈火のごとく怒って、君みたいな非国民は戦場へ行けというので、二等兵でもって前線に送られました。戦後、帰ってきて初代逓信院総裁になられました。
十年ぐらい前でしたか、東海大学創設者の松前重義先生と二人でお話しする機会がありまして、明治になってミッション系の学校がどんどん来て日本の民度を上げ、日本の近代化に果たした役割というのは大きいと、こういう話を聞いたんですね。
私は冒頭に松前重義さんの話をしました。もう言いたいことはわかっていると思うんですが、今伸びたと言うけれども、それでもこれはもっとやっぱりやるべきだ、インフラとかそういう箱物じゃなくてここに重点を置くべきだと、このように思うんです。また、立命館アジア太平洋大学については文部省も外務省も、これはいい方向に進んでおりますから、積極的に御支援を賜りますようにお願い申し上げたいと思います。 終わります。
私は、東海大学の前総長松前重義さんとあることで二人で何回か話をしたことがあるんですが、彼自身が海底ケーブルの特許を持っておりまして、その成果を大学にどんどん投入していった話もちょっと聞きました。そういう人がトップにおる場合は、御承知のように東海大学は今非常に日本では進んでおります。さもありなん、こういうように思います。
ちなみに、私の尊敬しております故松前重義前東海大学総長は、柔道をこよなく愛しておりましたけれども、私に一度も試合で勝ってくれと言われたことはありませんでした。いつもいつも私に言われたのは、柔道を通して、スポーツを通して世界の平和に貢献できる人間になってくれと、このことをいつも何度も何度も言われました。 私は、幸運にもロサンゼルス・オリンピックで自分の夢を実現できました。
ただ私も、思いは、昭和二十九年から当時の中曽根先生等と、あるいは松前重義先生等と一緒に、おまえも手伝えということで、私も鉛筆をなめながら、原子力基本法を、あの自主、民主、公開等の原則を入れていきながらつくってきた経験を持っておりますだけに、これからの日本の、小資源国であり、そしてエネルギー構造の脆弱な日本において、まず軽水炉から出発をして、そして今、高速増殖炉、核燃料サイクルということをやっているときに
私は、前も郵政でございますから、電波、宇宙、宇宙開発、その他松前重義さんの海洋開発とか、原子力は先ほど御指摘も出ましたけれども、関心を持っておりました。
もう一人は松前重義先生でございます。これは通信の方でございますけれども。そういう二人の先覚者といいますか、腹の据わった方、これを私どもは敬服しながら今の時代ということでおるわけでございまして、今おっしゃいましたように海上自衛隊等々はなかった。特に、国内の機雷除去に従事しておってそのノウハウがある。
そして、私ども熊本の松前重義先生、通信に一番の力を入れた、通信は世界を結ぶというふうな哲学のもとに、私も日中海底ケーブルその他いろいろやってまいりましたけれども、その一番のスタート、前島密先生、郵便の父は余りにも有名でございます。
そこで見ておりますと、NTTさんもそうだけれども、NHKさんも何か福岡の方へ業務内容の合理化合理化という名目で、逓信省発足以来、松前重義先生以来の熊本だけれども、そういきっつあるんじゃないか。ここは私ちょっと御注文だけ申し上げておきます。もしそうなれば、県知事以下市会議員団一緒になってちょっと反対運動をやらざるを得ない、こういうことに相なりますので、一言だけ申し上げておきます。
○伏見康治君 対ソ関係で今ハマーさんの話をしたので、余計なことですけれども一つだけ申し上げますと、私も実は日ソ間の交流ということに対して非常に熱心に活動しているつもりでございまして、この四月の末には松前重義さんのお供をして文化交流の方で行ってまいるつもりですが、そういうことをなさる方が通商関係の方でもどんどん出てくださることを希望いたしまして、ココム関係の質問をおしまいにいたします。
そこで、そういう理念の中からもう一つ、これはNTTにお尋ねするわけでございますが、私も若いころから、かつて松前重義、逓信省の大先生、通信は世界を結ぶというふうな一つの理念、哲学のもとに、いろいろ国境を異にし、民族や宗教やいろいろ政治体制を異にしている国々とも通信ネットワークというものは必ず共同利用型で、相互接続で相互に通信し合えるネットワーク社会を形成していくんだ、これが最高の哲学だと私も教えられておったわけでございます
この際に、人物、識見とも松前重義氏は立派であるけれども、この方は既によわい八十歳を超えておられる。八十歳を超えておられる方では、いかにも激務をお願いをするのは無理と言わざるを得ない、こういうことが唯一の理由で外されているという例があるのですよ。ところが、今日俎上に上っている大槻氏は八十三歳、この辺の矛盾をどういうふうに受け取られるのか、こういうことを一つは申し上げざるを得ません。
それは、原子力基本法を制定するに際しまして、私は野党の皆様、松前重義さんあるいは志村委員、社会党の方々です、それらの方々と一緒に議員立法で現在の原子力基本法を制定したわけですが、そのとき国会における私の答弁は当時の野党の皆さんとも相談してやった答弁でありまして、例えば、原子力推進による商船等が一般化した場合には日本も原子力潜水艦を持ち得る。
ところがいろいろ聞いてみたら、学柔連の御大将、会長にだれが出てきたかと思ったら、松前重義先生が出てきたというところがまた片方がこうなっておる。というのは、国際柔連の会長の件で嘉納先生負けているでしょう。だから試合の規程なんかも、国際柔運の方の規程が先にできてしまいまして、それに従わなければやれないから、全柔連規程や試合の規程や何か皆変えたのです、講道館も含めて。
先日、東海大学の松前重義総長が毎日新聞のインタビューに対しまして、日ソ関係打開のため、福田内閣当時に福田首相の了承と外務省の要請を受けたという前提で、松前私案というのをソビエト側に提案して合意が得られたということの経緯をお述べになっておられるわけでありますが、これは外務省も御承知ですね。そして事実だと存じますが、それは事実ですね。いかがでございますか。
それから松前重義先生の無装荷ケーブルというのは、松前重義先生御自身が工務局長としまして日本じゅうの電話線の幹線に無装荷ケーブルを敷かれたわけでございますし、朝鮮半島からさらに中国東北地区の端までこの線を敷かれた。実際に御自分でそれを推進されたというようなことのために、実用化されたわずかな例になるわけでございます。
これは昭和五十九年七月五日に東海大学理事長、総長松前重義氏と高橋堯郡山市長による署名捺印された基本協定の中にも実はこれがこのとおり明記されているわけであります。 あるいはまた、いわき市におきましても明星大学の誘致が決まりまして、当面いわき市は理工学部系一学部三百名と文科系一学部の新設が予定されているようであります。
私は野党の皆さんと一緒に基本法をつくった一人で、その責任者として野党の皆さんとも、特にこれは社会党の松前重義さんでありましたが、相談をしまして、議会で答弁をする必要があるから解釈を確定しておこう、これは提案者としての法の解釈を確定したのです。 そのときに、その原子力推進という問題が出てくると思うのです。
そのときに社会党の松前重義先生等とも相談をして、私は提案の責任者でありましたから、国会で答弁をする、そのときに、もし原子力推進というものが一般化して、商船や運送船その他でどんどん使われるようになった場合に、自衛隊の潜水艦が原子力推進でない場合には、それよりスピードが遅くなってしまう。追いかけられない。それでは目的を達するわけにはいかぬ。
私のぼんやりした記憶の中で松前重義とか梶井剛とか篠原登とか米沢滋とかという相当大きな名前が念頭に浮かんでくるわけでございまして、そういう方々の長年の努力というか、それから見通しのいい計画といったようなものが今日の郵政事業の根幹を築いていると私は思います。